活動日記

2024/01/31

桐島聡容疑者死亡

50年間も逃亡生活をしていた桐島聡容疑者が、入院先の病院で本名を明かして亡くなったとの事、そして病名は末期がんだったそうです。

この報道に、私は自分の高校生時代を思い出しました。当時、授業が終わると電車で都内に向かい学生運動していた数人の同級生がいました。彼らは普段でも学校で「革命が必要だ!」と騒ぎながら、反戦歌を歌っていました。私は、「暴力で革命を起こして何が良くなるのか?」と問い正したことがありました。しかし、彼らからは納得できる答えは返ってきませんでした。また、「貧しい人たちを救うために一緒に戦おう!」などと言われ、学生運動に誘われたこともあります。しかし、私には、暴力的な活動で世の中が良くなるとは思えませんでしたし、担任の先生から「学生運動をすれば奨学金が打ち切られる」と言われたこともあり、奨学金で勉強していた自分には打ち切られることの方が大きな問題だったので断りました。今、彼らは郷里で行なわれる同窓会や同級会にも出席していませんが、どうしているのでしょうか?

ところで、桐島容疑者が知人に爆破事件を反省していたとの報道や、自分の行った企業爆破などの行為を反省して最後は本名を名乗ったのではないかとの報道もありました。しかし、桐島容疑者の爆破や逃亡は絶対に許すことは出来ません。当時の爆破事件で多くの犠牲者が出て、今でも苦しんでいる人達がいるのです。桐島容疑者は、早く自首して犠牲者やその家族に詫びて罪を償って欲しかったと思います。犠牲者のご家族の皆さんの気持ちを思うと、胸が締め付けられます。どんな意見や主張を持っていても、問答無用と、暴力に訴えることは何の問題解決にはなりません。

  • Facebookページへ
  • Twitterへ